月刊 整備工場の親父 創刊号
技術、集客、設備、金。
一度店を失敗した整備屋が、10年以上かけて分かった
「工場経営の歯車」の話。
「仕事はある。でも、なんで金が残らんのやろ。」
今日も一日、よう働いた。
朝イチから車検受け。
帰ってきたらオイル交換と車検整備。
昼飯の途中で電話。
午後から故障診断。見積り作って、部品を頼んで。
仕上がったクルマを洗車して
気がつけば、もう夜。
仕事はあるんや、大丈夫。
今日の予定表は埋まってる。
リフトも空かへん。
電話も鳴る。
「忙しいんやから、まあ商売は順調なんやろ。」
そう思っていた。
月末の支払日、
従業員の給料を払って、
部品屋さんに振り込んで、
家賃払って、
最後に自分の給料を取る。
あれだけゼロが並んでいた口座から、
ゼロがひとつ消えている。
「……なんで、こんだけしか残ってへんねん。」
車検の見積もりを書きながら、
「昔からの客やし、値上げ言いにくいな」
3年落ちのクルマが入ってきた。やっとディーラーからうちに流れてきてくれた。
さて故障診断しよう。あれ、この車種まだ診断機に入ってないやん。
「また診断機買わなアカンのか?」
最近また最低賃金が上がったらしい。求人出してるディーラーは、景気の良い給料提示で整備士募集してるし。
うちの従業員が引き抜かれへんようにそろそろ給料も上げなあかんなぁ。
最近は軽四でも、カメラとかレーダーも付いてる様になった。
カメラ壊れたとかバンパーぶつけたとか言われても、
うちの工場では直されへん。
「この修理、またディーラー出しか」
よし、オレも修理工場で独立しよう
直前まで努めていた輸入車ディーラーは、メーカーの倒産で消滅。
それならオレは独立してみよう。だめでもまだ30歳ならやり直しが利く。
そんな思い出 「ユーロガレージ峠屋」 という小さな修理工場を構えました。

スーパーセブンやマーコスなど際どいイギリス車を多く診ていた
世間で言うちょっと珍しいクルマを狙って、準スーパーセブン専門店みたいなことをやってました。
空冷ポルシェなんかもけっこう修理してました。
分からない故障があれば調べる。
難しい修理ほど面白い。
もっと技術を身につけたい。
今思えば、完全な技術屋でした。でも――
技術があっても、客は来ませんでした。
設備もろくにない。
金もない。 そして何より、
集客のやり方を知りませんでした。
店を開けていれば、いつか評判が広がる。ちゃんと修理していれば、またお客さんが来てくれる。
腕のいい整備士になれば、商売もきっとうまくいく。
ニッチなクルマを扱う工場でも有名店はあるし、俺もそれを目指そう、そんなふうに思っていました。
ところが現実は違いました。
今日も仕事がない。
電話も鳴らない。
仕事がないから売上もない。
仕事がないから副業を始めてしまう
それならと鈴鹿にあるレースガレージを手伝う形でレースメカの仕事をしました。
サーキットへ行けば仕事がある。
日銭にもなる。
眼の前に仕事があると安心できた。
そして何より、レースの現場は面白かった。
もっと速く。
もっと正確に。
もっと壊れないように。
そこでまた、整備士としての技術を追いかける。
しかし一般的ではない特殊技術ばかり上がっていきました。
スーパーGTやフォーミュラ日本のメカニックまで行けば仕事に箔が付く。
そんな勘違いもしていました。
完全に悪循環でした。

店の商売は行き詰まります
今なら分かります。
私は、「クルマを直す仕事」は一生懸命やっていました。
でも、「修理工場を経営する仕事」を、全然やっていなかった。
良い仕事をすれば客は来る。
技術があれば選んでもらえる。
腕があれば食っていける。
そう信じて5年。
ユーロガレージ峠屋は、失敗しました
それでもまた修理工場を始めました
次の店は、準備周到に開店しました。店のキャラは、『輸入車専門修理工場』で、
店名は 『欧州最強自動車』 (!)
2回目の開店時は、時代もすすんでインターネットが普及しており、集客はウェブサイトに力を入れました。
一応、ご近所さん向けにチラシ配りなんかもしました。
自分にとっては精神鍛錬の修行みたいなもので、分かっていたけど全く役に立ちませんでした。
ウェブサイトはまず自分で作りました。サイトづくりを覚えるためです。
この過程で身につけたのが、
●商売の特色づくり
●反応のあるウェブサイト作り
●ネット広告の管理技術
いまの基礎となる集客術でした。
しかし、商売の財務を理解するにはさらに10年かかりました。
仕事が増えれば、次に欲しくなるのが設備でした。
「この診断機があれば、あの仕事もできる。」
「この工具があれば、自社で作業ができる。」
儲けが出ると、また設備を買う。
整備屋ですから(笑)。
仕事は増えた。
設備も増えた。
ところが、仕事も設備も増えてが、現金は増えない。
最初の10年は融資も受けずに十分な運転資金もないまま、
月末には支払いのやりくりを心配することもよくありました。
借金をしたら、初めて金の心配が減った。
転機はコロナ禍でした。
取引先の信用金庫さんから、
「ゼロゼロ融資は借りとき」
と勧められました。
それまで私は、できるだけ借金をせずに商売する方がいいと思っていました。
でも融資を受けて、十分な運転資金が口座に入った。すると不思議なことに、
借金は増えたのに、金の心配は減りました。月末の支払いに怯えなくていい。
設備投資も、少し先を見て考えられる。
初めて、経営に「心のゆとり」ができました。
助成金にも助けられた
ウェブサイトを自分で作った経験をもとに、プロに依頼して作り直してから集客が急上昇した。
これ以降はネット広告の必要もなくなった。
助成金にも助けられた。
ウェブサイトを自分で作った経験をもとに、プロに依頼して作り直してから集客が急上昇した。
これ以降はネット広告の必要もなくなった。
4つの歯車が回りだした
一軒目の店で、技術自慢だけでは客が来ない現実を突きつけられました。
二軒目では、集客ができても経営のやり方を知らなきゃ安定しないことを学びました。
客がどれだけ来ても、金の回し方が分からんと手元に残らへん。
設備投資を渋れば、受けられる仕事も頭打ちになる。
かといって設備を買いすぎれば、口座のゼロが消えていく。おまけに、
その道具を使いこなすための新しい技術も追いかけなアカン。
私自身、この4つをうまく回せるようになるまで10年以上かかりました。

集客・お金・設備・技術。
あなたの工場も、全部を変える必要はないと思います。
集客、お金、設備、技術。
だから、
新しい診断機を買えばいい。
広告を出せばいい。
工賃を上げればいい。
そんな単純な話ではないことも分かっています。
工場によって、持っている設備も違う。得意な仕事も違う。お客さんも違う。
だったら、全部を変えるんじゃなくて、今あるものを使って 「一つだけ違う商売」 を足してみる。
私は、そんな方法があってもいいと思っています。今までの車検をやめる必要もない。
昔からのお客さんを捨てる必要もない。工場を建て替える必要もない。
従業員を何人も増やす必要もない。今までの商売はそのままに、
今までとは少し違う 「土俵」 を一つ持つ。
そこで、新しいお客さんと出会い、
今までとは違う仕事を受け、
昔からの価格に縛られず、
持っている技術をもう少し高く売る。
そんな仕事が、売上の一部に加わったらどうでしょう。
私が選んだのは、「輸入車」という土俵でした。
もちろん、すべての整備工場に輸入車が向いているとは思いません。
でも私は、この土俵には一つ大きな魅力があると思っています。
競争相手が少ない
近所を見渡せば、車検をやっている工場はいくらでもあります。
オイル交換も、タイヤ交換も、どこでもできる。
ところが、「輸入車の故障を診てくれる工場」となると、一気に数が減ります。
しかも、輸入車だからといって、すべてが特殊な仕事ではありません。
ブレーキもある。
足回りもある。
車検もある。
オイル漏れもある。
ここまで読んで、ひとつだけ提案があります。
今の工場を全部変える必要はありません。
仕事をもっと増やすのではなく、
利益の残る仕事を少し増やす。
そのために、
「輸入車」という土俵を一つ足してみませんか?
私が実際に使ってきた輸入車整備という方法を、
あなたの修理工場で始めるならどうするか。
その具体的な方法をお教えします。